カスミサンショウウオと生息地の山奥の写真

サンショウウオの一生

カスミサンショウウオ(セトウチサンショウウオ)の一生

地質時代から四国に生息

サンショウウオが徳島の地に生息する様になったのは、いつ頃からだろうか。北極海の島で2億数千万年前の石炭紀~三畳紀の地層から「堅頭類」というサンショウウオと形態が似る両生類の化石が多く発見されている事から、地質時代から生息していたのではないだろうかと想像する。この疑問に確かな方向を示してくれたのが、徳島の離島に生息しているカスミサンショウウオである。

海に面した徳島には、小さな島が幾つかある。その中の、県北鳴門市の「島田島」、県南阿南市の「伊島」、県南牟岐町の「出羽島」の3つの島でカスミサンショウウオの生息が確認された。この島々は、陸地との位置関係や距離からして四国が本州から分離した地殻変動時に同時に誕生した島であるに違いない。その島に現在、生息していると言う事は、海を泳いで渡る事は絶対に出来ないので、島となったその時点で既に祖先が島内の自然環境で生息していた事を物語っている。

徳島の地に生息し始めたのは、少なくても、四国誕生の新生代第四紀更新世(約百万年前)よりも前であった事が実感として理解出来る。

図1 鳴門市の「島田島」に生息が確認されている。中央よりやや右上の島。

図2 阿南市の蒲生田岬沖の「伊島」でも生息が確認されている。左側は陸の海岸線。右端上の方の島が「伊島」。

ひっそり暮らす成体の一生

徳島県内には、標高の高い深山渓流に3種類のサンショウウオが生息しているが、平地に生息しているサンショウウオはカスミサンショウウオⅠ種類だけである。カスミサンショウウオは小さな谷が流れている山麓の平坦地との接点周辺で生息しており、平地止水性サンショウウオと言われている。

カスミサンショウウオの成体の全長は100~120mm少々である。オスはメスより少し大きい。体表は柔らかく常に湿っており、体色は茶色系である。音を出したり、噛みついたり攻撃する様な事は絶対にない、極めて弱い立場の小さい可愛い両生類である。生きて動く虫等を捕食、数日間何も食べなくても異常はない。動きは遅く、行動は単独で、範囲はせいぜい数10m位であろうか。棲み家の様な決まった場所があり、常に同じ場所に潜んでいる。特に隠蔽性が強く、夜行性で、昼間に姿を見るのは産卵期以外は先ずない。皮膚呼吸と肺呼吸であり、流れの少ない水路や湿地帯が生息の拠点。成体の天敵はヘビと野鳥と言われている。

カスミサンショウウオは万物に迷惑を掛けず、自然の中でひっそりと一生を暮らす、両棲類有尾目の代表で進化の過程を物語る貴重な希少動物である。美馬市脇町はカスミサンシヨウウオを町の天然記念物に指定し大事に保護をしている。県では絶滅危惧Ⅱ類に指定し保護を呼び掛けている。

図3 若いカスミサンショウウオ。オスは全長が少し大きく尾部が長い。メスは胴部が長い。

一月産卵と幼生

カスミサンショウウオの産卵時期は吹雪舞う寒い1月である。山麓の地下水が湧く水溜まりに雌雄が集まり産卵が始まる。蚊取り線香状に巻いた太さ20mm、長さ150mm位のビニールパイプ状の「卵のう」を2本産み、一端を雑草などに固定している。1本の「卵のう」内には仁丹程の小さい卵が50個位詰まっている。一度に生まれる幼生は約100匹、他のサンショウウオの3~5倍の多さである。深山は温度や天気等特有の自然で棲む動物にも限りがあるが、平地環境では常に激しい生存競争の運命にある事を見越した上での数なのだろう。動物が持つ神秘な力を感じる。

孵化も早く、産卵してから約25日位した2月下旬に幼生が誕生する。全長13mm~15mm、小さい身体が底土に点在している。腹卵黄を栄養に3月中旬に前肢が、孵化して2か月経った4月中旬には後肢が完成し全長も33mmに生長し一人前の幼生としてスタートする。そして、新緑の5月下旬、水棲動物が多くなる頃、一気に51mm位に伸長し変態を終えて成体になる。カスミサンショウウオの幼生期間は僅か3カ月足らずで短い。産卵から変態の間、水溜まり内の枯草等の物に隠れている複数の親を時々見掛ける。昼夜を通し、かなり長い間である。「卵のう」や孵化や幼生を護っているのに違いない。

カスミサンショウウオの一生で1番危険が多いのは幼生時代である。その理由は、春先、晴天続きで地下水・湧き水の量が減少し、水溜まりが枯れる事態に出会ったからである。幼生が活動している水溜まりの水が枯れ、エラ呼吸が十分に出来ず僅かに残る泥水で苦しんでいる場面を見てきた。また、逆に水量が多くなれば、いろんな水棲動物が増えたり流されたり、犠牲がでる様子も見てきた。サンショウウオの一生は幼生時代を無事に生長する事が出来るかどうかが鍵となる。

幼生は変態すると水溜まりから湿地の草むらに這い上がり地上生活に移っていく。平成元年の秋、雑草を積み重ねた堆肥場で、堆肥の間に全長98~34mmの成体が潜んでいた事があったが、変態すると湿り気のある、隠れることができる場所で生息する。

カスミサンショウウオは、天敵の少ない厳寒期を中心に僅か3か月という短期間で成体になる。この時期と生長スピードは大きな特徴であり種族を護る見事な生態である。人が暮らす山麓の平坦地は自然環境に恵まれており大小のいろんな動物が競い合い生きているが、カスミサンショウウオは、攻撃手段もない弱い体であるが、地質時代の昔から絶える事なく生き続けられているのは、固有の生態であるからだろう。

図4 2つの「卵のう」を産む。1つの「卵のう」内には直径2mmの卵が約50個詰まっている。1度の産卵で100匹の幼生が産まれる。幼生はプランクトンやユスリカ、小さい虫を食べる。逆に、ザリガニ、水棲昆虫等に狙われる。

図5 孵化したばかりの幼生。全長13~15mm。ピンク色のエラを一杯広げている。

謎の多い生態

徳島県内でカスミサンショウウオが分布しているのは、県の中央地点より東側の四国山地と脇町小星地域を含み、それより東の讃岐山脈の山麓であるが、生息が確認されている地点は点在で極めて少ない。その理由には、生態に謎が多く、発見が難しいからである。毎年1匹が1度に100匹も産む割に、成体の姿は人目に触れる事はない。

阿波市市場町内で昭和の中頃から平成にかけて、カスミサンショウウオを見つけた切っ掛けは、全て偶然である。例を挙げると、9月、山際の農家で古びた納屋を解体していた時、床下の湿った地面にうずくまる珍しい動物を発見、それがカスミサンショウウオであった。さらに、雪解け水が流れる12月11日、山麓を通る県道沿いの民家の庭先の花壇のジャノヒゲの中で見た事がない動物に驚く、それもカスミサンショウウオであった。また、寒い12月、小学生が山際の雑草地でミミズを探していた所、直径30センチ位の朽ちた赤松の倒木の中で2匹の変わった動物を発見、これもカスミサンショウウオであった。戦後の5月、田植えの準備で、水を入れた田圃を牛で代掻をしていた時、水面を泳ぐ不思議な動物に気づき、それもまた、カスミサンショウウオであった。平成23年5月には、吉野川市の学島小学校の児童が山裾の水溜まりで何匹もの幼生を見つけた等々、全て偶然が切っ掛けで、周辺にカスミサンショウウオが生息している事が判ったのである。カスミサンショウウオは特に隠蔽性が強く夜行性で、極めて辛抱強く生命力が強い動物であるが、生息場所や行動面は掴みにくい。山麓の自然が残る地域には、もっと多くの場所で生息しているかも知れない。

図6 小さな谷がある、山麓の平地との接点周辺の自然環境に生息。讃岐山脈南麓。

図7 水路横の泥の側壁に住み家をつくっているのだろうか。カスミサンショウウオは高さ数10センチ位の垂直面を這い上がる事は出来ない様である。夜間写す。

生まれて30年目を迎える

私が飼育している1匹のサンショウウオは平成元年孵化で令和元年で30歳を迎えた。夜になると時々姿を見るが、動きは昔と変わらない。平成2年4月には全長は47mm、平成4年には85mm、平成7年には107mmに生長し、平成20年には120mmになった。現在は、平成21年に変態した雄の全長104mm1匹と共に過ごしているが、雄の腹に噛みついたりはするが産卵の気配は全くない。2匹は頭を揃えて同じ所にいる時もあるが、別々の所にいる時が多い。物陰に隠れて一生を過ごす習性に寂しさを感じている。カスミサンショウウオの生長の様子をグラフにして見ると、孵化から変態までの、いわゆる幼少年期は伸長は急で期間は僅か3~4ヶ月と短く、変態してから全長が100mmの大人になるまでの期間、人間の青年期になるまでの期間は6~7年間。そして、人間の20~60才を壮年期とすると、サンショウウオでは14年間位が壮年期に相当する事になる。現在飼育しているサンショウウオは生まれてから30年が過ぎたので、人間の世代に例えると老年期の後半に当たる計算になる。これから先何年生きていてくれるか楽しみである。

30歳でも元気である事はサンショウウオの寿命を知る上でも貴重な資料であろう。

図8 令和元年 8月で、30.6才になる。雌である。

図9 5月、変態が近い。エラが赤く充血してくる。

図10 カスミサンショウウオの生長グラフ。幼生時に、短期で成長し変態するのが特徴。

「生きた化石」、貴重な動物

カスミサンショウウオは小さい谷が平地に流れ出た家庭排水の全く入らない原野に生息しているが、年々生息場所が減っているのが現状である。生息の有無を知る方法は、山麓周辺で、1~2月頃、卵を産みそうな水深10センチ位の水溜まりや流れの弱い排水溝、水路や小さな浅い溜池等を探し出し、「卵のう」を見つけるのがよい方法であると思う。偶然に、冬眠中のカスミサンショウウオを見つけた市場町切幡のカスミサンショウウオを護っている妹尾康弘氏は、ブドウハウスへの地下水流入を防ぐために山手側に掘られた排水溝内で「卵のう」を発見した事で、周辺がカスミサンショウウオの生息地である事を知ったのだと教えてくれた。

昔は県内でも生息場所は多かったが自然環境の変化で、最近確認されている生息場所は極めて少ない。

カスミサンショウウオは何の危害も加えない、種族を護るため辛抱強く一生を頑張っている「生きた化石」とも言われる珍しく大切な動物である。生息地である事が判れば、温かい保護の方法が浮かんでくるだろう。

最後に徳島のカスミサンショウウオは、新種であることが明らかになり名前を「セトウチサンショウウオ」と呼ぶ様になった事をお伝えしたい。過日、サンショウウオ研究者の京都市の田辺慎吾先生から、西日本に生息する固有のカスミサンショウウオについて遺伝的・形態的に精査した結果、9種類に分割され、2019年2月に徳島のカスミサンショウウオは「セトウチサンショウウオ」と呼ぶ様になったとご教示いただいた。感謝し、お伝えします。

図11 1月下旬、水溜まりの草や木株の下に隠す様に産卵している。同じ所に複数匹が産卵している事もある。親がするのか、「卵のう」の上に泥土を掛け見つかりにくい。

図12 平成元年冬、当時、小学校6年生であった妹尾康弘氏が、市場町切幡山でカスミサンショウウオを初めて見つける。徳島新聞朝刊、平成2年2月2日(金)に報道してくれた記事。

令和元年 8月 記

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