カスミサンショウウオと生息地の山奥の写真

サンショウウオと自然環境

1 徳島県内での分布概況

徳島県内でサンショウウオの生息を確認した地域について述べてみたい。

1)先ず,深山渓流性のイシヅチサンショウウオ,シコクハコネサンショウウオ,コガタブチサンショウウオの3種類が生息している地域は,四国山地内だけであり,吉野川北岸,香川との県境を東西に走る讃岐山脈には全く生息していない。

2)四国山地での分布状況は,特にイシヅチサンショウウオは広く,南は旧木頭村や木沢村。東は上勝町や神山町。中央では旧美郷村や山川町,剣山山系一帯,旧一宇村や半田町,東祖谷地域や落合峠。西部では旧西祖谷山村や大歩危,小歩危の吉野川を渡った西側の山城町の愛媛県境近く等々,個体数は少ないものの広範囲に分布している。シコクハコネサンショウウオ,コガタブチサンショウウオについては,分布範囲は狭く,剣山山系の安定した限られた渓谷に生息している。勿論これ等の渓谷には,イシヅチサンショウウオも生息している。

3)深山渓流性のサンショウウオが四国山地の広範囲で生息しているという事は,四国山地には,サンショウウオの生息に適した標高の高い山と自然環境が多い事を物語っている。一方,讃岐山脈に生息していない理由は,讃岐山脈の隆起時期や吉野川の流や中央構造線の形成等々には無関係,山脈の標高が低く生息に適した環境が無いためであると考える。

4)平地止水性のカスミサンショウウオの分布については,讃岐山脈と四国山地両方の山麓に生息している。吉野川の北岸,讃岐山脈の南麓では,西端は,脇町の小星地域で,中央部では市場町,東は,鳴門市で確認されている。讃岐山脈南麓の自然が残る小さな谷や水溜まりのある周辺に生息している。四国山地では,吉野川南岸の四国山地の麓で平成24年に吉野川市「学島」地域にて,学島小学校の児童が発見,生態研究に取り組んだ。県南の四国山地では,那賀川の南の阿南市山口地域で確認されている。カスミサンショウウオは讃岐山脈,四国山地両方の山裾に生息しているが,現在では,生息場所は,極めて少なくなっている。

5)イシヅチサンショウウオは,四国山地の広範囲に生息し,シコクハコネサンショウウオとコガタブチサンショウウオは,分布は狭く限られた渓谷にしか生息していない。また,カスミサンショウウオは四国山地と讃岐山脈の両方の山麓に生息しているし,きわめて散在的である。この様に種類により生息場所や分布範囲に違いがあったり,カスミサンショウウオの生息地は,両方の山であったり,生息地もきわめて飛び飛びである等はどうしてだろうか。何を物語っているのだろうか。

北側から見る四国山地の一部,下は東西に流れる四国三郎吉野川。山波が幾重にも重なる奧の山は高城山(1628m) 。頂上にアメダス。

南側から見た讃岐山脈の一部と南麓地域。中央の流は吉野川。山脈では竜王山(1059m)が一番高く,高い山でも700m位である。

2 地質時代から生き続けるサンショウウオ

1)徳島県に生息するサンショウウオは,現在の吉野川や那賀川の大河や大小の谷川の流に関係なく,広範囲に生息している。この事は,現在の地形や自然環境になる前の地質時代の太古から,四国山地各地等々で既に生息していた事を物語っている。地質時代の歴史を見ると,四国山地が隆起したのは今から510万年前の第三紀の鮮新世であり,讃岐山脈が出来たのは200万年前の第四紀の更新世(氷期)である。そして,100万年前に島としての「四国」と瀬戸内海が出来,2万年前に日本列島が現在のような地形と環境になった事が明らかになっている。

2)現在,四国山地等に生息しているサンショウウオは,本州と陸続きであった,第三紀鮮新世の510万年前頃から更新世を経て100万年前位までの長い長い間に本州等の各地から,地殻の変動や水の流れや小さな歩み等々で,世代交代を繰り替えしながら移動してきたのであろう。紀伊半島の大台ヶ原高原には,イシヅチサンショウウオと瓜二つのオオダイガハラサンショウウオが生息しているし,シコクハコネサンショウウオは関東の箱根地方に生息しているハコネサンショウウオと酷似であるし,コガタブチサンショウウオは鈴鹿山脈以西の本州,九州に生息しているブチサンショウウオと極めて似ている。カスミサンショウウオも愛知県や岐阜県,和歌山県などの近畿地方,広島県などの中国地方にも生息しているし,関東地方に生息するトウキョウサンショウウオとも非常に似ている等々は,その証拠である。

3)サンショウウオは,地質時代の大昔から種族を護り続けてきた実に素晴らしい貴重な動物であると共に,地質時代からサンショウウオの生命を支え続けている徳島の自然環境も,また貴重である。

3 生息環境

深山に生息するサンショウウウオにとって,大切な自然環境とは何か。人間の生活では「衣」・「食」・「住」の安定が一番大切である。動物も同じではないだろうか。試行錯誤してきた観察から生息の自然環境を考えてみた。

「衣」は,サンショウウオは「衣」を着ていない。しかし,「衣」と云えば服装やファッションが頭に浮かぶが,サンショウウオは美しい色とりどりの体色を持っている。この体色が「衣」に当たるのだろうか。人間社会では「衣」を着るのは,身なりを整え美しく見せる以外に,身体を外部刺激から護り,温度変化に対応する役目もある。サンショウウオは,この役目はどうしているのだろうか。
幼生も成体も渓谷の砂礫層内に潜って安全を保っている。だから,年中絶える事なく流れる渓谷内の巨岩,岩塊がつくる水溜まりに堆積した砂礫層や小石が「衣」の役目をしているのだと考えたい。
また,陸で生活している時は,湧き水の斜面に生えた草や山肌に積もる落ち葉,朽ちた倒木や岩石の下側が「衣」の役目をしていると考えたい。
次に,体温保護は,サンショウウオは変温動物であるが,温度は生死に関わる極めて大事なもの。低い温度には強いが,水温15度,気温20度以上が続くと死んでしまう。四季を通して適正な温度環境をつくり出しているのは標高1400mという高さ,落葉広葉樹の原生林,年中流れている安定した渓谷の流水であり,深山の自然環境そのものが「衣」の役目をしているのだと考えたい。
サンショウウオの身体と命を守っているのは,渓谷や山肌の環境と低い温度を保っている深山の環境である。

「食」は,サンショウウオは動物食で,小さい生きて動く動物しか食べない。ミミズ,カワゲラ,カゲロウの幼虫など,水棲の虫が主な食べ物である。これらの小動物の多くは,水溜まりに積もる落ち葉や腐葉土に集まっており,落ち葉がつくる豊かな有機物で繁殖している。また,溜まりに発生しているプランクトンや共食いも役割を担っていると考える。

「住」にあたる自然は,標高の高い原生林の中を流れる,巨岩,岩塊の多い安定した渓谷そのものであろう。また,成体にとっては大雨でも崩落しない湿潤な落葉広葉樹に覆われた山肌斜面であろう。流水こそ命を守る元である。太陽や雨や霧,空気が大切である事は云うまでもない。

これらの自然環境が安定し,互いに調和している環境にサンショウウオは育ち,長く生き続ける事が出来る。落葉広葉樹に覆われた渓谷。いつも水が流れている渓谷。巨岩,岩塊の多い水溜まりと砂礫層が堆積している渓谷。湿潤でいろんな植物が生えている斜面。雨や霧の多い深山。これらの自然環境がサンショウウオを護っている事を強く感じる。

落葉広葉樹の繁る原生林

落葉広葉樹の繁る原生林

年中,冷たい水が枯れる事なく流れる渓谷。

年中,冷たい水が枯れる事なく流れる渓谷。


渓谷は巨岩,岩塊が多く,巨岩で堰き止められた砂礫層の水溜まりが階段状に多い。コケむす岩塊。

渓谷は巨岩,岩塊が多く,巨岩で堰き止められた砂礫層の水溜まりが階段状に多い。 コケむす岩塊。

カワゲラ類の幼虫のアップ写真

カワゲラ類の幼虫

カゲロウ類の幼虫のアップ写真

カゲロウ類の幼虫(右上)

渓谷水溜まりの砂礫層内や落ち葉が堆積し腐葉した所には,水棲の小動物がかなり多くいる。幼生はこれらを食べていると考える。

よく霧が湧く。

よく霧が湧く。

渓谷の左右に広がる落葉広葉樹林の写真(その1)
渓谷の左右に広がる落葉広葉樹林の写真(その2)

渓谷の左右には,落葉広葉樹が。

渓谷の左右には,落葉広葉樹が。

冬になると,山肌も渓谷も落ち葉が厚く積もる。

冬になると,山肌も渓谷も落ち葉が厚く積もる。


秋,冬,春は太陽で温かく,渓谷内の小動物も活発。

秋,春は太陽で温かく,渓谷内の小動物も活発。

サンショウウオは自然のままの自然の中で,自然の動植物と同じように,季節による気温,水温,雨や霧の変化に合わせて生きている。春がくれば,雪解けで原生林の森には新芽が膨らみ,夏は渓谷一面を緑の葉が覆い,谷には小動物の活動が盛んになり,冬が近づけば落葉が山肌を覆い,柔らかい太陽の光が渓谷に広がる。サンショウウオも,こうした,自然の移り変わりを道しるべとして生きている。この自然に,何らかの変化が起きれば,そこに生きている動植物にとっては致命傷となる事も多い。

サンショウウオ渓谷周辺の植物

ニリンソウの写真

ニリンソウ

ヤマシャクヤクの写真

ヤマシャクヤク

花は共に5月


オオヤマレンゲ 花は5~7月。

オオヤマレンゲ 花は5~7月。

ブナの実の写真

ブナの実。

シコクフウロの写真 花は夏。

シコクフウロ 花は夏。


ワサビの写真

ワサビ。

キレンゲショウウマの写真。花は8月。

キレンゲショウマ 花は8月。

ナンゴククガイソウの写真。夏。

ナンゴククガイソウ 夏。


テンニンソウの群落の写真 花は秋。

テンニンソウの群落 花は秋。