イシヅチサンショウウオの産卵
はじめに
今から40数年前,美馬郡一宇中学校に勤務していた時,幼い頃から兄に連れられサンショウ谷(標高約1400m)によく登っていた生徒が「麦の色が黄色くなると,サンショウウオは谷に出て来て卵を産みはじめる」と,また,渓谷の流を堰き止めている大きな岩を指さし「この下に卵を産んでいる」等,興味ある生態を教えてくれた。
以来,機会がある度にサンショウウオの産卵には気をつけてきた。その中で,心に残っているイシヅチサンショウウオ(図1)の卵を護る見事な産卵習性と,1個所に産み付けている「卵のう」数は普通は1匹だけの2房であると思っていたのが,最近,驚く数の「卵のう」を産み付けているのに出合ったので,その様子等を報告したい。
図1 イシヅチサンショウウオの成体。全長20cm前後。
1 種族を護る産卵習性
深山渓谷には巨岩や苔むす大小の岩塊が多く,水は,敷き詰められた岩石群の上や間,底を流れ下っている(図2,3)。清水・冷水が,変化の多い複雑な斜面を飛沫を上げたり急流や淀みをつくって流れている渓谷で,長い間生き続けてきたサンショウウオが,卵が無事に育つ安全な産卵場所を探り当てるのは,極めて大切であり,成し遂げなければならない宿命である。そこは,渓谷の水の流れが集中している岩塊群の小さな隙間で,洪水や渇水時,動物に荒らされる等の異変にも影響されない所である。渓谷の複雑な環境の中から,卵が無事に孵化出来る場所を探り当てている,サンショウウオの産卵習性には,ただただ感心している。
図2 渓谷には大小の岩塊が一面,それ等を縫うように水が流れている。
図3 渓谷には多くの苔むす岩塊と転石が絡みあっている。
イシヅチサンショウウオの産卵時期は,冬眠から覚め,雪解け水が渓谷を流れ始める早春からである。渓谷には太陽は燦々と照っているが,水温は8度少々で手を切る冷たさ。産卵の時期は約1ヶ月,梅雨入り前まで続く。産卵している所は,先ず実感した事は,水の流れが絶えない流の中,そして,外部からの圧力に影響されない,光が殆ど届かない奥深い空洞等の自然条件を備えた所で,普通は,1個所に1匹が2房の「卵のう」を産み付けている。蚊取り線香状に2回位巻いた太さ10mm,長さ20数cmの「卵のう」内には,直径5mmの卵が約15個大きな卵膜に護られ「ぐの字」に詰まっている。産卵してから約40日前後で孵化,7月中旬には約30匹の幼生が誕生し渓谷に泳ぎ出る。いよいよサンショウウオとしてのスタートである。卵は梅雨の期間で大雨,台風に遭う事も屡々,産卵から孵化までの間は,雄の親が,「卵のう」周辺で,卵を護り続けている。厳しい流や環境の中で,産卵場所を見つけ出す雌親といい,孵化するまで卵を護り続ける雄親といい,サンショウウオの体を張って頑張る雌雄の奮闘振りには,教えられるものを感じる。
2 産み付けている「卵のう」の数
次に,サンショウウオが産卵する「卵のう」数について述べてみたい。イシヅチサンショウウオの産卵は,1匹の親が2房の「卵のう」を産み付けているのが普通であり,1番多く見られる(図4)。
図4 産卵は,普通は1個所に1匹が2房の卵を産み付けている事が多い。
ところが,渓谷によっては1個所に4房,6房,時には10房,20房と驚く数の「卵のう」を産みつけているのに出合った(図5,6)。
図5 特に水の流れが豊かで,理想的な環境に驚く。
図6 10匹以上が産卵。20房以上の「卵のう」を産み付けていた。
東祖谷の小さな渓谷で,谷底が岩盤で、水は岩盤を抉って流れ下っている谷の凹地に,驚く数の「卵のう」がぶら下がっていたのである(図6)。1か所に4房や6房の卵は見たことがあったが,20房を越す「卵のう」は初めてであり驚きであった。その後、別の渓谷でも10数房の「卵のう」を産み付けているのに出合った(図5)。この複数産卵は,サンショウウオは1個所に1匹が産卵するものという,産卵のイメージを覆した。そして,どうして多数の「卵のう」を産み付けているのか,若しかして,集団で産卵をする事もあるのだろうか等,疑問が広がった。
そこで,各「卵のう」の,卵の発生段階を調べてみた(図7,8)。調べたのは数組についてであったが,各「卵のう」の発生段階には6日間~数日間の差があり,2房ごとに産卵日が少しではあるが異なっている事がわかった。20房もの「卵のう」を産み付けていたのは、集団産卵や全てが同時産卵で出来たものではなく,個々の親がサンショウウオの習性で,若干の間隔を空け,この場所を見つけ出し,次々と産卵した結果,出来た「卵のう」群である事がわかった。
図7 1組の卵の発生段階は,まだ,体の形は出来ていない。
図8 もう1組の卵は体の基が出来ている。
何故,多くの卵を産み付けたのだろううか。徳善氏と2人で渓谷環境を調べてわかった事は,渓谷には水量も大きな岩塊も少なく,特に卵の安全が護れると思われる場所が少なく,水の流れが集まっている1個所に集中し「卵のう」群となったのだと判断した。その後に,もう1つの理由として,産卵に極めて良い場所であったからではないかと考えた。それは,別の渓谷で10房を超す「卵のう」群に出合った時(図5),その場所の状況は,渓谷の水が階段状に流れ落ちる低い所で,大きな岩塊が重なり合う奥深くで,底は岩盤と砂利,地下水の様な底水がかなり多く流れており,これこそ安全な環境であると実感したからである。
水量豊かな,いわゆる規模の大きな深山渓谷には,産卵習性が求める場所が多く散在し,1個所1匹の産卵が多い。しかし,臨機応変で,流れが豊かで,安全な環境であると,同じ場所でも,複数の親が次々と産み付ける事がわかった。
当然の事であるが,サンショウウオは絶滅危惧種。自然に生きる野生動物の習性・本能を活かし生き続けようと頑張っているが,近年の異常気象や自然災害,開発等で住み家が狭められているのも現実。調査では,「卵のう」も1匹の幼生も元気に生長できるように特に気をつけている。サンショウウオは,人が大切に護らなければならない貴重な動物である。産卵の観察は,出来るだけ現況を変えないように気をつけ,習性を考え,卵が無事に孵化するように細心の注意をしてきた。
おわりに
卵を安全に孵化させる事は種族維持の礎であり,地質時代,陸上に動物が生息した最初のサンショウウオが,今まで生き続けている訳が分かった気がした。皮膚や視覚や聴覚,臭覚等全ての感覚と過去の経験を総動員し,流れや水圧,臭い、光,音,触感,地形等々を頼りに,水の流れが集まる,光の少ない,岩石に囲まれた小さな空間を見つけ,そこに産卵している。特に,シコクハコネサンショウウオも,渓谷に吹き出す伏流水を探し当て,その奥深くで産卵するので,卵の安全は完璧である。イシヅチサンショウウオの産卵習性も,安全な所に産卵するという基本は似ているが,産卵場所は渓谷全体と範囲が広く,1匹だけで産卵する事が多いが,好条件の環境では,驚く数の「卵のう」を産卵する事もある。コガタブチサンショウウオについては,調査不足であるが,水の流れが集まる空洞状暗部に産卵していた。
また,平地性のカスミサンショウウオは,1本の「卵のう」内の卵が50個と多く,1度に100匹の幼生が誕生する。いつ頃,どんな所に産むかは極めて大事である。雪解け水等の地下水が湧き,水がゆっくり流れ,水量が安定している谷では,卵を隠す様に水草等の間に,単独で草木の茎等に付着させて産卵しているが(図9),地下水が少ない谷では,窪地の水量の多い水溜まりを選び「卵のう」群状態で産卵していた(図10)。産卵する所はプランクトン,水棲生物が生息している所である。
図9 カスミサンショウウオは,水が多く,ゆっくり流れている溝では草木の茎に付着させ2房を産卵する。
図10 水が少ない溝では,凹みの水溜まりに,数匹が産卵している事もある。水路内にはプランクトン,小さい水棲動物が沢山いる。「卵のう」の表面にはアオミドロが付着している。
サンショウウオオは,隠蔽性で水の流れに敏感,無事に孵化する環境を探し出す産卵習性や種族維持の本能に優れ,雪解け,梅雨,落葉広葉樹の緑や落ち葉,気温・水温等の自然の移り変わりにうまく調和して生きている動物であり,長い長い歴史を生き続けている理由がうなずける。最後に,本調査時は勿論,いつも深山調査を支えてくれ,夢や希望を育ててくれる,教え子の徳善政明氏のあたたかいご配意・ご協力に深く感謝し,報告を終わります。
28年 6月 記