ツルギサンショウウオの産卵生態
1)偶然出会って知った産卵習性
深山渓流性の3種類のサンショオウウオの生態で、疑問が残るのはツルギサンショウウオについてである。理由は、種の産卵生態と考えられる現場の確認等が出来ていないからである。
今までの調査でツルギサンショウウオの卵塊を生息地で見つけたのは、僅か2回だけ。1か所は落合峠(1520m)の原生林渓谷で、谷水が流れ落ちる巨岩、岩塊が集まる堰で岩塊の下側口近くに2本の「卵のう」が産み付けられていた。もう1か所は、落合峠の時とは違った環境で、地下水が流れる砂礫層のガレ場の中で1対だけ産み付けられていた。長期間の調査でやっと見付けた「卵のう」であったが、この2か所での発見は、産み着けていた卵はただ1対だけであり、ツルギサンショウウオの生態による産卵ではないと思う。
理由は、春の剣山(標高1955m)で偶然出会った、渓谷源流横の水溜まりに集まっていたツルギサンショウウオの産卵行動と思っている場面が、印象深く頭に残っているからである。
昭和47年5月上旬の夕方、標高1800m位の渓谷源流横の、広さ1平方メートル位、ひたひた程度に水が流れている水溜まりがあり、驚いた事に、その水溜まり一面に50~60匹位のツルギサンショウウオの成体が、互いに身体をくねらせあい戯れている不思議な場面に出会った。腹の膨れた個体が多く、産卵前の行動に違いないと興奮。日没が迫っていたので、取り敢えず数匹を持ち帰った。案の定、翌朝バケツの中を見ると卵を産んでいた。
水溜まりの横を午後3時頃降りた時はサンショウウオの姿は全く無かったのに、夕暮れを感じ渓谷を引き返して登って来ると、水溜まりに驚く数のツルギサンショウウオが集まっていたのである。生徒達も、珍しいブチサンショウウオがこんなに沢山、どこから、何を合図に、何のために集まったのか、驚きを口々に観察した。不思議な行動は産卵の前兆行動、100%集団で周囲が暗くなるのを待って、横の渓谷源流の岩塊群から流れ出る伏流水を遡り産卵するためであると思った。
後日に周辺を探せば、卵は発見出来たであろう。しかし、残念ながらその時期の調査活動では、絶好のチャンスを掴みながら産卵場所の特定と確認の活動をしなかった。今となっては悔やまれる。
図1 剣山の西側に聳える徳島県第2の高峰、次郎笈(標高1930m)。
ツルギサンショウウオ生息地近くの岩場から南に見える次郎笈。
図2 ツルギサンショウウオの雌の成体。これと似た大きさの
ツルギサンショウウオが、夕方、源流域の岩塊横の水溜まりで50匹~60匹集まり、互いに触れ合っていた。
図3 落合峠の落葉広葉樹原生林内の小さな渓谷で、岩塊群の間に産み付けていた。
ツルギサンショウウオの「卵のう」。
2)生息場所は山肌
月日が流れ、平成20年代になり、剣山の渓谷源流周辺で40年前の水溜まりを探したが、かつての場所を見つける事は出来なかった。しかし、その後の剣山山系調査で、ツルギサンショウウオは、限られた環境の山肌にしか生息していない事と、3個所の生息している場所を見つける事が出来た。
平成27年の春には、教え子の徳善政明氏が、剣山山腹の渓谷源流域周辺でツルギサンショウウオが生息している山肌を見つけてくれた。以来5月中旬~下旬に数回、2人で生態調査、産卵場所探索に取り組んだ。その結果、普段の生息場所はイシヅチサンショウウオやシコクハコネサンショウウオが生息している水量のある流れの速い渓谷とは違い、少量の水が流れている小さな谷横の山肌に点在する苔生す岩塊が一面に覆う湿潤な落葉広葉樹原生林の山肌である事と単独でいる事を突き止めた。
また、産卵については平成30年5月29日の午後4時過ぎであったが、山肌にデンと座る巨岩の底から少量の水が流れ出ている水溜まりで、総排泄腔が赤く膨れている7匹のツルギサンショウウオを見つけた。すぐ上の巨岩の底から流れ出る伏流水の奥で産卵するのに違いないと思った。
最近の3個所での調査で判ったツルギサンショウウオ産卵時の生態としては、産卵時期になると、太陽が西に傾き、日が暮れ始めると、水の流れの音を頼って山肌から多くの仲間が産卵場所近くの水溜まり周辺に集まって来る事もわかってきた。
図4 ツルギサンショウウオが生息している山肌と一面苔むす岩塊群。山肌は湧き水等が常に流れ湿潤であり、落ち葉も多くサンショウウオは単独で岩塊の下で生息。
図5 太い樹木の左側に、渓谷の源流部である小さな谷が流れている。
産卵期になると、この谷に集まってくる事が判ってきた。
図6 山肌にある巨岩の下側から流れ出る伏流水出口周辺の水溜まりに集まっていた。総排泄腔は充血肥大していた。
3)産卵期には伏流水を求めて谷に集まる
令和4年、待ちに待った卵調査の時期がやってきた。徳善氏の配慮で、サンショウウオの生態に詳しい高知市の動物園(わんぱーくこうちアニマルランド)前園長の渡部 孝氏と学芸員の吉川 貴臣氏の2人の協力を頂き、徳善氏と私の長男との5人で平成27年から調査してきた剣山の生息地で、5月28日(土)と6月18日(土)の2回産卵場所探しを実施した。
5月28日は、ツルギサンショウウオの生息場所は山肌であるので、先ず、産卵場所探しは山肌を中心に進めた。山肌に点在する巨岩の下から流れ出る少量の伏流水や地面に湧き出る湧き水の水の流れる周辺や奥を調べた。しかし、卵は発見できなかった。
午後3時過ぎになり嬉しい発見が続出した。山肌では卵の発見は出来なかったが、少量の谷水が流れている山肌横の小さな谷に降り、岩塊の下や落ち葉や瓦礫の間を調べたところ、点々であったが、少量の水が流れる谷中や谷ぶちで10匹ものツルギサンショウウオの成体が見つかった。
ツルギサンショウウオは山肌にしか生息していないものと思っていただけに、谷の中に成体がいた事は、新しい発見であり、50年前に水溜まりに集まっていた事を思い出し、此れは絶対に産卵のために渓谷へ降りてきているのに違いないと思った。調べると腹が大きいのが多く、なんと総排泄腔が肥大充血し、産卵が近い事を直感した。
ツルギサンショウウオが産卵のために集まっていた谷は、渓谷源流域の小さな谷で、水の流れる量は少なく、所々に小さな水溜まりがあり、落ち葉や枯れ枝、岩塊が点在している砂礫と枯れ枝、落ち葉の谷である。
ツルギサンショウウオは山肌に生息しているので、山肌に、巨岩の下から伏流水が流れ出ている様な環境があれば、山肌でも産卵すると思っている。しかし、山肌には、豊かな伏流水が流れ出ている環境は極めて稀である。そのために、産卵の時が来ると、谷水の流れの音を頼って、谷の中や周辺の落ち葉の間に集まって来るのだろう。
図7 少量の水が流れている谷中で、産卵場所を探す吉川学芸員。
図8 少量の水が流れている水溜まり周辺で見つけたサンショウウオ10数匹。
腹が太り総排泄腔は肥大充血、産卵が近い事を強く感じた。
4)産卵場所の発見
5人による2回目の調査は、梅雨の関係で6月18日に実施した。目的は卵の発見である。5月28日に、産卵するために谷中や谷の周辺に集まっていたのに違いないと思ったので、今日は絶対卵を見つけると意気込んだ。調査は谷を中心に源流から下流へと約20m位の間、産卵しそうな所を探しながら所々にある伏流水の様に水が流れ出ている岩塊の下側や砂礫の間を調べて下った。そして、産卵場所は、ここに違いないという場所を突き止めた。
5月28日に総排泄腔が膨れた成体が砂礫等の流れの中や落ち葉の間で見つけた、すぐ上流の巨岩や大きな岩塊が重なり谷を堰き止めている所に目を着けた。谷を塞いだ岩塊は左右の山肌から崩れ落ちたのだろうか、大きな岩が複雑に重なり谷を塞ぎ段差になっていた。岩塊の下からは谷水が伏流水の様に流れ出ていた。産卵場所に違いないと思った決定的根拠は、すぐ下流の砂礫や落ち葉の間で、点々とではあったが、5月28日の時の様に、10数匹の成体が見つかった。総排泄腔を見ると収縮していた。産卵が終わった個体だと思った。全長が130mmもある大きな雄もいた。産卵が終っても、しばらくは岩塊の下から流れ出る伏流水の出口周辺や下流で餌をさがしながら過ごす習性がある事を知った。
嬉しい気持ちで卵の発見に取り組んだ。流れ出る伏流水に沿って巨岩の下の石を除きながら掘り進んだ。腰の深さまで掘り進み、ライトを照らし、鏡を使い、棒でつついたり、いろいろ試みながら堀り進んだ。岩塊の下面に簾の様に生みつけられている様子を想像しながら掘り進んだ。ところが残念な事に、これ以上掘ると危険であり、岩塊が崩れ落ちてくるとの注意が高まり、掘るのを中止。巨岩の下は水が流れ岩や砂礫が重なる、よい産卵場である様であったが、残念ながら卵を目にする事は出来なかった。
図9 伏流水が流れ出ている下流の砂礫、落ち葉、岩塊、枯れ枝の間や谷ぶちで
見つかる。総排泄腔を調べると、ふくらみや充血がなかった。
図10 産卵場所。岩塊が崩れ、危険と判断、掘り進むのを中止する。岩塊の奥は、
伏流水、砂礫、石に囲まれ、産卵の良い環境であると思った。この岩塊の奥に、
卵はあると信じている。
図11 岩塊の、すぐの下流で、見つけたツルギサンショウウオ。すでに産卵は
終わったのだろう、総排泄腔が普通の状態になっていた。
5)産卵は多くの仲間と夜を待ち伏流水の奥深くで
今までの調査から判った事は、産卵の時期は5月~6月であり、時期が近づいてくると、産卵数日前から段々と山肌から水の流れの音を頼って、水音周辺に集まってくる。そして、いよいよ産卵になると、太陽が西に傾き夕方が近づくと、伏流水の清流近くの水溜まりに集まり、多くの仲間の集まりを待って、集団で巨岩、岩塊群から吹き出る伏流水の奥深くに潜り込み産卵する。
谷でも山肌でも、岩塊の下から伏流水が流れ出ている所はある。しかし、ツルギサンショウウオが産卵する場所は、殿と座った巨岩、岩塊群の底から少し多めの清水伏流水が流れ出ている所であり、普通は渓谷の源流周辺の谷中である。
卵は見つける事は出来なかったが、産卵場所は何者にも気付かれない、流れる清水に囲まれた、光の無い場所であるに違いない。そこに周囲が暗くなるのを待って集団で岩塊に産みつけると考えている。令和5年こそ、徳善政明氏に助けてもらい、ツルギサンショウウオが産卵している現場と卵を、確認したいと思っている。
子を護る素晴らしい習性は、地質時代から生き続けてきた大きな理由であろう。
図12 ツルギサンショウウオの生態調査。前列右から、私の長男田村励治、
渡部 孝 前園長。後列右から吉川貴臣学芸員、私、徳善政明氏。
令和4年8月 記