カスミサンショウウオと生息地の山奥の写真

イシヅチサンショウウオ親になるまで

はじめに

四国山地の原生林に囲まれた渓谷でイシヅチサンシヨウウオの生態を調べていて、気になる事は、石の下に潜んでいる小さな幼生が、渓谷で産卵している全長170mm~200mmの親になるまでには、一体、何年かかるのだろうか、また、渓谷から山肌に上がる時期はいつ頃だろうかという疑問であった。

生態を知りたいために、長い間、剣山山系の標高1700m前後の渓谷や山肌で、教え子や家族に支えられ早春から観察を続けてきた。また、現地調査には限界がある事に気付き、家庭の穀物保存用冷蔵庫内で卵や幼生を飼育し、孵化した幼生の生長の様子等を観察もしてきた。

現地調査や飼育で判ってきた、小さい幼生が産卵する親になるまでの生長の過程や高山の自然を住み家としているイシヅチサンショウウオの生態について報告したい。

1) 孵化時期と幼生

シコクハコネサンショウウオの卵を探して50年近く山を歩いてきた中で、ただ1度だけ偶然に「卵のう」から流れに泳ぎ出ている瞬間の孵化場面に出会う事が出来た。黒笠山西谷渓谷で標高1500m地点、2011年7月16日午後2時頃、水温は13度であった。見つけた「卵のう」に触れると3~5匹の幼生が「卵のう」の端から流れに泳ぎ出たのである。幼生の全長は約30mmであった。

一方、飼育観察では、渓谷で見つけた「卵のう」を持ち帰り、家庭で飼育し発生の状況や孵化の時期や幼生の生長を調べてきた。その結果、孵化したのは7月8日、7月12日、7月18日で全て7月上旬~中旬、ちょうど梅雨明けの頃であった。孵化した時の幼生の体の大きさについては全長が25~31mmで細い未完成の体で孵化する事もわかった。渓谷と飼育での観察から、孵化の時期は7月中旬であり、生まれてきた幼生の全長は28mm前後である事が明らかになった。

孵化した時は両顎には赤みを帯びた7mm位の長いエラを広げ、腹には大きな卵黄を抱え、前肢は小さいヒレ状か、小さい3本のヒレ状の指が出来かけている状態で、後肢の基は、まだ小さい小さいヒレ状である。

孵化直後のイシヅチサンショウウオの写真

図1 孵化直後の幼生。両顎から3本の約7mmもあるエラを広げている。

孵化直後の幼生の写真

図2 孵化直後は前後肢もなく、エラと大きな腹卵黄が目立つ。

2) 幼生の生長

孵化する時の様子については、卵膜を破り孵化した幼生が「卵のう」の中に泳ぎ出ると、破る事が難しい強靭な「卵のう」であるのに、流れに靡いている細長い先端が自然に解け、幼生が通れる位の穴が開き、次々と流れに泳ぎ出てくる。泳ぎ出た幼生は、すぐに砂礫層に潜り込み姿が見えなくなる。「卵のう」から孵化した全ての幼生が流れに泳ぎ出るまでには少し時間がかかった。

孵化した幼生は、流れの中の砂礫層内に潜り、餌を摂らなくても腹に抱えている腹卵黄を栄養にして身体を充実させていく。孵化して約25~30日すると4本指のある前肢が、約50日すると5本指のある後肢が完成、生まれて約2ケ月して、やっと一人前の幼生になる。秋には全長が45mmに伸び、小石の間で餌を探しているのか姿を見かける。前後肢が完成した8月下旬には腹卵黄は米粒位に小さくなっている。

卵膜内では最小限の小さい体で孵化し、広々とした渓谷に泳ぎ出てからは、腹に抱える大きな腹卵黄を栄養にして前後肢完成をはじめ身体全体を充実させ、広い渓谷水溜まりの砂礫層内で一人前の幼生に生長していく。この合理的な生長方法には感心する。

イシヅチサンショウウオの卵のうの写真

図3 卵を護る「卵のう」は強靭であるが、孵化すると流れに靡いている細い先端が
解けて穴が開き、孵化した幼生が「卵のう」から流れに泳ぎ出る。
産卵は、1組の親が2本の「卵のう」を産み着ける。

3) 2年目の6~8月に変態

幼生は冬眠から覚めると春~初夏の間には、水溜りの周辺で姿をよく見かける様になり、全長が60~65mmに生長し体形も一回り大きくなる。そして、孵化して丸1年が近付く5月の中下旬、水温が10度前後と高くなってくると変態の兆候が出始める。体が黒ずんできたり、エラが赤くなったり、頭の形が変わる等の変化が出始め、6月中旬頃から変態が始まる。変態の時期については渓谷により多少の早い遅いがあるが、孵化して丸1年すると変態する事が多く、中には8月に変態する事もあった。変態すると渓谷から這い出し、山肌生活に移り、動きも敏捷になる。

イシヅチサンショウウオの幼生と成体の写真

図4 上はエラが赤く小さくなった変態が近い幼生。下は変態して成体になったばかり。

変態の時期については、体の生長と水温が深く関係している事も判ってきた。幼生の全長が約60mm以上に生長し、水温が高くなれば変態が始まる。飼育観察では4月中旬に水温が15度以上の日が数日続き、変態した事もあった。

変態すると幼生時とは体つきが変わる。黒くなった体表に白い斑点が出来てくるのもその1つである。幼生時の呼吸はエラ呼吸と皮膚呼吸であるが、変態するとエラが無くなり肺呼吸と皮膚呼吸になる。変態しても皮膚呼吸をする事には変わりはないが、白い斑点は陸上生活での皮膚呼吸が出来るための器官と関係していると聞いている。

白い斑点も1年位すると消えて無くなり、産卵成体と同じ体色の光沢のある黒味がかった瑠璃色や藍色となる。

イシヅチサンショウウオの成体の写真

図5 変態すると、体表に白い斑点が出てくる。

イシヅチサンショウウオの産卵成体と成体の写真

図6 全長が200mm近い産卵成体と変態して間のない成体

変態すると活動の場は山肌が中心である。しかし、山肌で変態直後の成体に出会った事は残念ながら少ない。渓谷で産卵が活発な5月~6月に山肌や苔の生えた朽ちた倒木の下側や落ち葉が堆積する岩塊の間に潜んでいる全長90mm位の小さい成体を見つけた事が数回ある。変態した成体は隠ぺい能力に優れている様で、昼間は物陰に隠れて動かないで、移動したり活動するのは夜間や雨天時の様である。

落葉広葉樹の原生林の写真

図7 変態すると渓谷周辺の湿り気のある山肌に隠れている。落葉広葉樹の原生林。

4)渓谷での生息

剣山山系でのイシヅチサンショウウオの分布は、深山に生息している3種類のサンショウウオの中では1番広く生息数も多い。しかし、生息している渓谷は極く限られ環境の谷であるし、生息している個体数も少ない。

生息渓谷は、気温、水温が低い所で、必ず落葉広葉樹原生林の中を流れ、流路の方向は無関係であるが、特に、落葉広葉樹と深い関係がある。その理由は、晩秋には落ち葉や木の実が水溜まりや山肌に堆積、唯一の有機物源で、カゲロウ類やプランクトン等いろいろな小動物が集まってくる。それがサンショウオオの餌となるからである。もう1つは、冬から春の間は太陽光が差し込み明るくなり、初夏から秋の間は緑に覆われ日陰で薄暗くなる。この毎年繰り返す明るさの変化が渓谷入りや産卵や変態等の生態に関係していると思うからである。

生息している渓谷は、比較的に源流部に近い小さな谷で、水量は少ないが年中清水が流れ、谷の中には大小の岩塊が多く、所々に水溜まりがある。周辺の気温は最高でも平地の11月下旬頃の気温で16度以下位である。標高では1500m前後を流れている渓谷が多い。サンショウウオが渓谷内で生活するのは、幼生時代と成体では産卵期の約4か月間だけである。サンショウウオの産卵は1年に1度だけで、1組の親は5月頃に2本の「卵のう」を産卵する。1本の「卵のう」内には約15個の卵が入っている事が多く、1度の産卵で約30匹の幼生が生まれる。今までに1つの生息渓谷で確認出来た産卵数は、多くて10組前後であるので、渓谷周辺で生息している成体の数は少なく、渓谷内で姿を見つけ出すのも難しい。剣山山系に生息しているイシヅチサンショウウオの個体数が少ないのが心配である。

高山特有の自然だからサンショウウオの命は守られている事を感じてきた。近年は、異常気象が多く発生し豪雨や山腹崩落で命を落とす個体が多いのでないだろうか。特に、幼生時代には豪雨で流されたり動物に食べられる等で犠牲になる事が多い様で、産卵成体になるまで無事に生長する事の難しさ厳しさを痛感している。

5)7年間の全長測定

孵化した幼生が産卵成体になるまでには何年かかるのだろうか。この答えを知るため現地調査を続けて来たが、生息場所が渓谷内だけでなく山肌が多く、特に、変態後の生長を知る事が難しく試行錯誤の調査が長く続いた。

公職を退いてから、家庭で飼育し生長を調べる事を思いついた。幼生は何年すると親になるかを知りたいために平成26年7月から、孵化した3匹の幼生の飼育を始め、令和2年11月で7年目が過ぎた。飼育の環境は、水槽に砂礫を敷き詰め水温を10度~13度を目安にし、4月~11月の間は温度調節可能な穀物保存庫内で照明を活用し飼育、11月下旬~4月中旬の約5ケ月間は、冷蔵庫から外に出し平地の自然環境で飼育してきた。餌は、時々様子を見てミミズを与えている。

生長の観察は、大体は2ケ月に1回水槽の水換えをし、その時、体を撮影し全長を測定してきた。測定した記録の1部を表1にまとめた。測定個体は雄である事がわかった。

経過年 測定年・月・日 全長の測定値 備考
1年目 26年 7月15日 25mm 15個の卵、全て孵化
8月 5日 39,4mm 前肢に指4本ほぼ完成
9月13日 46,8mm 後肢ほぼ完成
11月15日 56,7mm
2年目 27年 5月18日 69,6mm 6月中に殆ど変態山肌生活
27年 9月15日 77,0mm 身体に白い斑点
12月21日 82mm
3年目 28年 4月20日 87mm
6月20日 91mm
10月25日 95mm 体色が黒・瑠璃色・藍色
4年目 29年 7月7日 103mm 雄と確認
5年目 30年 12月31日 122mm
6年目 令1年 6月11日 129mm
7年目 2年 7月6日 144mm
11月2日 146mm

表1 孵化したばかりの幼生を飼育し、全長の伸長を7年間測定した一部。

6)親となるのは生まれて10年

5)表1の全長測定記録の測定値、測定期日をグラフに表わしてみた。このグラフ化でイシヅチサンショウウオの全長伸長の特徴がわかってきた。生長曲線からわかる特徴の1つは、孵化してから変態するまでの約1年間の短い期間での全長の伸び方は大きく曲線状に伸びる事と、2つは、変態してからの全長の伸び方は、月日の経過に比例しほぼ直線状に伸びている点である。特に2つ目の、全長は年齢に比例して毎年同じ値で伸びている生長傾向が判ったことは、産卵成体になるまでには何年かかるかという、知りたかった年数が推定できる。

このグラフ化から、変態後は1年間に全長が約14mm伸びる事がわかった。孵化して7年目で全長が146mmの雄が、全長190mmの産卵成体になるには3年後であり、孵化してからでは約10年すると親になるという事がわかった。

生まれてから約10年すると親になるというグラフの結果は、生息地での生長の様子を物語っているに違いない。謎が解けた喜びと共に、サンショウウオは小さな動物なのに親になるまでには随分と長い年月がかかるのは驚きであり、10年という長い山肌生活には厳しい事が多いに違いない。

グラフの写真

図8 孵化してからの全長の伸長グラフ。変態までの伸びの割合は大きいが変態してからは、毎年約14mmずつ伸びている事がわかる。これは雄であるので、全長が190mmの成体に生長するのは孵化して約10年してである事がわかった。

7)剣山山系の自然に守られ

サンショウウオは、全身柔らかく体表は粘膜に覆われ、何の攻撃手段も持っていないし、行動はゆっくりで、走る事も出来ないし声も出せない動物である。反面、夜行性で、身を隠す事が上手で、辛抱強く、生息は水陸両用であり、体色は保護色である。

野生動物としては極めて弱い身体であるのに数百万年前から生き続けてきているのが不思議であるが、サンショウウオが生き続けられている理由には、サンショウウオが持つ種族を護る素晴らしい習性や高山の自然に上手に適応している事が大きいし、何と言っても剣山山系の高山特有の気象や大自然が生態を陰から守ってくれているからである。

かって剣山山頂で活躍していた剣山測候所の記録を見ると、山頂の1年間の天気は、快晴日数は33日、曇天日数209日、霧の日数264日とあり、年間の降水量も2500~3500mmで徳島県の年間降水量の約2倍である。気温については8月の平均気温で13~16度で、年平均気温は4度である。サンショウウオは、剣山の低い気温や多い雨天や霧等の気象をはじめ、落葉広葉樹の原生林、山肌を包む巨岩、岩塊、砂礫、冷たく澄んだ湧き水等々の高山の自然があるから生き続けられている事を強く感じてきた。

イシヅチサンショウウオは、生まれてから約10年間という長い間、鳥やヘビ等の野生動物から身を守り、岩や倒木、落ち葉等の下で生活を続け、全長が170mm~200mmに伸長し産卵能力のある親となる。そして、親になると気温や水温、水の音や周りの明るさ等の自然を体で感じながら行動する。冬眠から覚めると、春から夏の間の約4か月間は渓谷の流れに入り、魚と同じ様に渓流で過ごしながら産卵し、8月には卵が無事に孵化するのを見届けて、再び山肌に上がり、翌年の春までの約8ケ月の間、山腹で生活をする。親のサンショウウオは毎年こうした生活を間違いなく繰り返している。

イシヅチサンショウウオの写真

図9 孵化して7年目。全長は約139mm。ほぼ2カ月間隔で測定。雄である。

おわりに

生態で、もう一つ知りたい事は寿命である。一体何年位生きられるのだろうか。飼育を続ければ答えは出るだろうが残念ながら高齢で不可能。セトウチサンショウウオ(旧名カスミ)は生まれて32年になるが、まだ元気でいる。犬、猫、ニワトリ等の身近にいる動物は、生まれて2~3年すると親になるが寿命は短い。イシヅチサンショウウオは生まれてから親になるまでに10年以上かかるので、寿命は30年以上であるに違いない。

生息地の気温は平地より約10度低く、落葉広葉樹原生林に囲まれた渓谷や山肌で生息しているイシヅチサンショウオは、攻撃力を持たない弱々しい体であるが深山の自然に守られて頑張っている。しかし、生息環境は美しい自然豊かな所であるが近年は異常気象が多く、特に感じる事は生息数が減少している様に思い心配である。地質時代から生き続けている珍しい動物であり、大切に保護していかなければならない事を痛感している。少しでも多くの幼生が親になり、長く生きてほしいと願っている。

長期間に渡り生態調査を支援・協力して下さった教え子や皆さん、家族の協力に心から感謝し終わりとします。

令和2年 11月 記