カスミサンショウウオと生息地の山奥の写真

郷土のサンショウウオを調べて

はじめに

「これ何,こんな動物見た事がない」と驚く生き物の一つがサンショウウオではないだろうか。サンショウウオは地質時代から地球上に生まれてきた動物でありながら,徳島では分布も限られ,種類も僅か4種類で個体数も少なく,人々にあまり知られていない,細々と生息している動物である

特に,カスミサンショウウオについては,その事を強く感じている。自然の多い郷土市場町でも,今までにカスミサンショウウオが見つかった所は讃岐山脈からの小さな谷の平地との接点周辺の5個所,全く思わぬ所からの,いずれも偶然,カメの様にゆっくり動く1匹だけの発見で,始めて見る動物に驚いたという。

一体,カスミサンショウウオはどんな環境に生息しているのだろうか。生態が判ればという思いと,何となくカスミサンショウウオという動物が消えて無くなってしまう様な気がするので,狭い範囲での生息状況であるが,発見場所や当時の様子,現在の状況を報告し,カスミサンショウウオの保護等について考えてほしいと思いHPに取り上げた。

1 発見場所の紹介

市場町の面積は約74平方km。その64%が山地帯,北側は讃岐山脈帯で香川県境と接している。平地は南側で,吉野川で形成された「善入寺島」(面積は広いが民家なし)等や讃岐山脈を横断する日開谷川等により形成された扇状地が広がっている。市場町内でカスミサンショウウオが見つかった地点は,僅かに5地点だけである。

図1 讃岐山脈の山麓で見つかった5地点の位置の説明図。個体発見場所は向かって左から右へ1、2、3、4、5の数字を入れた5個所である。

図1の様に,発見された場所は,全て讃岐山脈の麓,小さな谷と平地との接点。町内には讃岐山脈からは,大小の谷が多く流れ出ているが,カスミサンショウウオが発見された谷は,その中の,点々と離れた4個所だけである。

近年,問題視されている「中央構造線」が讃岐山脈の南麓を東西に走っているが(図2),カスミサンショウウオが見つかった5個所は,この断層の線上と構造線から南北に約1,5km離れた山麓の小さな谷の周辺である。

発見場所を地図に記入すると,カスミサンショウウオが生息する様になった時代が判るような気がする。中央構造線の活動は約100万年前で,讃岐山脈が隆起したのは200万年前といわれている。讃岐山脈が隆起してから後に断層活動が起こったという事は,讃岐山脈の南麓が一直線である事や,山頂から南麓に伸びる多くの稜線の山裾が構造線で切られ三角崖になっていること等からよく判る。一方,カスミサンショウウオが生息する様になった時期は,発見地の分布から,中央構造線が出来る前から生息していたと推測される。日本列島に人類が住むようになったのは今から3万年前というから,市場町の地に,カスミサンショウウオが定着してきた期間の長さは,実に驚異的といえよう。

図2 向かって右の山麓を中央構造線が東西に走っている。現在,その線上を徳島自動車道が通っている。右側の橋は日開谷川とその両岸平地に架かる高架道。

2 発見・生息の状況など

「地点1」

この場所は市場町の最西端で,すぐ西が阿波町との境,讃岐山脈南麓と平地との接点にある標高約150mの高台である。ここからは遠くの吉野川や平地に点在する民家や田園が一望出来る。ここに小さな法寺谷が流れ出ており,昔から,その谷水を堰き止め灌漑用の大きな溜め池が作られている。昭和30年前後は,地域の子供達の,水泳や魚釣り,カニ取り等の遊び場であったとの事。現在,電気会社社長の板東明夫(70代)氏が,少年時代,水泳をしていた時,池の岸に繁る水草の中や水路でイモリに似たサンショウウオを見たと教えてくれた。カスミサンショウウオが生息していたことは確かである。

現在は,溜め池の周辺環境は大きく変わっている。サンショウウオが生息していた所は中央構造線上であり,今は灌漑用溜池の真ん中に徳島道の大きな橋脚が建ち水路も周囲の斜面もコンクリート化した(図3)。最近は,サンショウウオの姿を見たという情報はなく,数回調査をしたが見つからなかった。絶滅したのだろうと思われる。

図3 法寺谷を堰き止めて作られた灌漑用溜め池。昭和30年頃この池の岸や周辺の小さな谷にサンショウウオがいたと教えてくれた。現在は溜め池に徳島道の橋脚が建設されている。

「地点2」

ここは,「地点1」から南へ約600m下った民家の古い納屋の「縁の下」で見つかった。

民家の標高は約90m,発見時期は昭和54年9月,所は市場町大俣字原渕,板東和由氏(当時40代)が自宅の納屋を倒していた時,床下の湿った地面にいたサンショウウオを見つけた。大俣小学校で運動会の準備をしていた時,板東氏より「サンショウウオだろうか,見にきては」という電話をいただいた。喜んで現場に駆けつけた。1匹だけであったが,全長約110mmの立派なカスミサンショウウオの成体であった(図4)。板東氏の家は農家で敷地も広く,田圃や野菜畑に囲まれた一軒家。納屋の裏側は人が入らない雑草地,湿り気はあるものの水溜まり等は無い。納屋の4m位東に「地点1」の法寺谷や溜め池から農地に送水するための谷幅40cm位の小さな水路が通っている。普段は水は無いが雨や田植え時には多くの水が流れる。周囲の環境や「地点1」の法事谷が生息地であることから考え,板東氏の宅地周辺がカスミサンショウウオの生息地ではなく,法寺谷から流れて来て,宅地に上陸したのだろう。水に流されて来たサンショウウオは,幸いにも,広い雑草地があり,古い納屋の縁の下には湿り気があり,農家の1軒屋という田舎の環境があったから生き続けられたのであろう。いつ頃から住みついたのかは不明だが,餌も充分摂れていたようで身体がしっかりしていた。溜め池は無いが,樹木や竹藪や雑草地など自然環境が命を救ったのだろう。板東氏は,サンショウウオを草むらの中へ逃がしたが,その後のサンショウウオの様子については判らない。

図4 納屋の床下で見つけたカスミサンショウウオ。昭和54年9月に,大俣字原渕の板東和由氏が自宅納屋の床下土間で見つける。

「地点3」

市場町内でカスミサンショウウオが見つかった5個所の内の4個所は,讃岐山脈南麓の小さな谷の周辺である。しかし,この「地点3」だけは,少し首を傾げるような位置で発見された。讃岐山脈南麓を東西に走る中央構造線より約1500m北に奥まった日開谷川の西岸,標高約100mの日開谷川河岸段丘に建つ民家の庭先で見つかったのである(図7)。

発見者は,市場町犬墓字平地の藤本信行氏(60代)。平成15年12月11日朝の9時頃,庭も道路も残雪と雪解け水が流れる庭先で見つけた。玄関のすぐ横の門柱の所に植えているクチナシの木の下のジャノヒゲの中で変わった動物がいるのに気づいたと話してくれた(図8)。周囲はコンクリートの庭とブロック塀に囲まれた所,ブロック塀の横は県道である。見た事もない珍しい形の動物に興味を持ち藤本氏はカメラに撮った(図5・6)。

図5 玄関先の土の上を這うサンショウウオ。全長約100mm。撮影年は設定ミスで,正しくは2015年である。藤本氏写す。

図6 図5と同じサンショウウオ。光の関係で体色が違った色になっている。撮影年は正しくは2015年。(設定ミスで2014となっているが)。藤本氏写す。

図7 東西に連なる讃岐山脈を日開谷川が横断。その横断面の東側を写す。サンショウウオ発見場所は讃岐山脈南麓を東西に走る中央構造線からは,北へ約1500m香川県境側に入った地点。山脈を横切って南北に流れる日開谷川西岸の段丘上の民家の庭先で見つかる。図では日開谷川流路は見えないが山裾の崖の下を南に流れている。

図8 サンショウウオは藤本氏が指さしている所にいた。玄関のすぐ横である。

カスミサンショウウオは一体何処から来たのだろうか。サンショウウオが何処を通って,この場所にいるのか,周辺を歩いて調べてみた。山脈南麓でなく山地をかなり北に入った,考えられない地域で見つかった事も,大きな不思議である。

藤本氏の家のすぐ横は県道が通っており,家のすぐ北側は樹木や竹が繁る斜面で,斜面の7m位下には流路500m位,谷幅2m位の小さな谷が西の山から東へ流れている。水の流は殆どなく,最後は藤本家から200m東にある日開谷川に流れ込んでいる。

カスミサンショウウオが,この周辺に生息する様になったのは,この谷があったからに違いない。平成になるまでは自然のままの谷であったが,昭和63年に山地部以外の全線がコンクリート化され,谷底もコンクリートで固められた(図9)。現在,1個所だけ自然のままで残っている個所は,藤本宅のブロック塀のすぐ横を南北に走る県道の下に掘られた長さ10m位の隧道の谷底だけである。隧道の壁は石垣であるが底部は自然のままで大小の岩塊や水溜まりがあり,カスミサンショウウオが生息出来る様な環境である。周りが殆どコンクリートで固められた場所の一部が自然が残るこの場所や人が入らない谷沿いの竹藪,雑木,雑草の斜面を住み家としているのだろうか,こんな所で生きてきたことが驚きであった。地形を知り尽くしている藤本氏に「何処から来たと思いますか」と訊ねると,西を指さし「谷の中から斜面を這い上がり,雪解け水の県道を横断し庭に迷い込んだのでないでしょうか」と意見を言ってくれた。地点2の納屋の縁の下や地点3の玄関先の花壇での発見は,カスミサンショウウオの生命力の強さや案外身近な所に,生息できる環境がある事を教えてくれた。

図9 藤本氏の家のすぐ北側を流れている谷。昭和63年にコンクリートの谷となる。


「地点4」

この場所は,中央構造線に沿って出来た金清谷を堰き止め大正3年に造られた農業用溜め池「金清1号池」(面積266アール)及びその下流の金清ダム(53アール)の周辺である(図11)。尾開字日吉,標高は120m,池とダムの周りには大小の水路があり,金清谷川にも通じている。サンショウウオは,主に,ダムの堰堤の下の金清谷の溜まりや池の小さい水路で生息していた事が確認されている。金清池やダムの下にある農地で,田植えの準備で田に水を引き入れ,田圃を牛で練っていた時,サンショウウオが泳いでいるのを見た事があったと話してくれたし,1号池,ダムのすぐ近くで農業をしている武田晴夫氏(60代)は,小さい頃,よくサンショウウオやイモリを見たと,その時々の状況を教えてくれ,わざわざ,堰堤の下の谷中や水路へ案内してくれ,サンショウウオを見た場所の水溜まりや水草の間,沼地を教えてくれた。昭和40年頃には,ダムの横に市場町教育委員会が「カスミサンショウウオ生息地」であることと「保護」を呼び掛ける看板を建てていたとも聞いた。今は,その看板は跡形もないが,金清谷は町内唯一のサンショウウオ生息地であると認識されていた。所が,最近はサンショウウオの姿を見た人はいない

水利組合の人も,周辺で農業をしている人も,谷の近くに自宅がある武田氏も,もうずっと前から姿を見た事がないと云う。そして,地域の人達は,サンショウウオの姿が見られなくなったのは水路や岸や土手がコンクリート化されたり,水路の拡充や吉野川北岸用水直結等々による水質の変化や水量増加,上流域が金清自然公園となり温泉施設も出来る等,周囲環境の近代化が原因だと指摘した(図12)。水質汚染が一番心配であるが,生命力に優れるカスミサンショウウオだから,地点2や地点3のように,金清谷や周辺の何処かで生きていると思うが,数も減り細々と生息している状況が浮かんでくる。

図10 山の凹みに赤色の橋がある。この下に金清ダムの堰堤があり,金清谷に流れ落ちている。サンショウウオは赤い橋の下の水溜まりにいたと教えてくれた。

図11 金清谷を堰き止めた灌漑用金清ダム。昭和29年に金清1号池の下流に完成。吉野川北岸用水,金清1号池の水を受けて,常に堰堤から水が流れ落ちている。このダムの堰堤の下の谷にサンショウウオがいた。ダム面積53アール。

図12 大正3年に完成した金清1号池の水を農地に送る水路。かっては石を積んだ水路であったがコンクリートで囲まれた水路に変わる。

図13 赤い橋桁の下に見えるのが金清ダムの堰堤。手前は,流れ落ちたダムの水が流れている金清谷。サンショウウオは,この堰堤下の水溜まりや水草,谷底の石の下にいた。この辺りは両壁がコンクリートである。

「地点5」

この場所は市場町の一番東,讃岐山脈が中央構造線で切られ,南に分離した四国霊場十番札所切幡寺のある切幡山と呼ばれている山地の土成町境に近い麓である。中央構造線からは約1500m南,切幡字観音の妹尾康弘氏のブドウハウス周辺である(図14) 。産卵期には卵も成体も見る事が出来る郷土の代表的生息地と云えよう。サンショウウオが産卵に出て来る場所はブドウハウス内に湧き水排水のために土を掘り上げただけの排水路であり,底は泥で水草,雑草が繁り,水溜まりが多い(図15)。妹尾氏がサンショウウオ産卵に気づいてからは,特に気をつけ護っている水路である。数年前の春,晴天が続き地下水の量が減少,水が枯れかけた時,水の補給を続け幼生の生長を助けたと話していたが,生息場所が個人の所有地であり妹尾氏の配慮で自然のままの環境が護られている場所であり,ブドウハウス周辺の個体数もかなりいると教えてくれた。

切幡山で始めてカスミサンショウウオを見つけたのは,平成元年の冬。当時八幡小学校6年生であった妹尾康弘氏が自宅の裏山雑草地で魚釣りのミミズを探していた時,偶然に倒木の下で冬眠中の不思議な動物を見つけた。この動物が絶滅危惧種のカスミサンショウウオである事を知り,以来,妹尾氏は興味を持ち生態を研究しながら保護に取り組んでいる。

図14 右側の民家の山手に小さい灰色のハウスが見える。生息地はこの周辺である。画面の中程に4本の電柱が見えるが,右端の電柱の山手に灰色の屋根の様なのが見えるが,それがサンショウウオが産卵するブドウハウスである。

図15 ブドウハウス内の排水路。この水路に産卵。土の溝には水溜まりや沼や草が。

おわりに

カスミサンショウウオの生息する谷は,どの谷も自然の湧き水が流れている谷で,上流に汚染源のない谷である。その中でも,市場町内でカスミサンショウウオが現在も確かに生息している所は「地点5」の切幡字観音,妹尾康弘氏の切幡山山麓のブドウハウス周辺である。また,可能性の高い所としては,昨年,犬墓字平地の藤本信行氏が庭先で見つけた「地点3」である。カスミサンショウウオ生息地と云われてきた「地点4」の金清谷をはじめ,他の地点は環境が変わり、ここ数十年来サンショウウオの姿を見た情報はなく,現況調査でも今のところは確認できていない。

町内の南麓にある谷数は20個所以上もあるが,その場所が生息に適した環境であったからこそ生息してきたのだが,今現在,環境が大きく変わってきている。カスミサンショウウオが生息していける環境は,上流に人家のない綺麗な水の谷で,まず,餌となる小動物がいる所,流れの少ない水溜まりのある所,湿っている泥や土がある所,湿った土や少量の水の中に腐木や枯れた木株や石ころのある所,樹木や草木が繁り光があまり当たらない所,魚や野生動物が少ない所等,これらのいくつかの条件が満たされた所であろう。カスミサンショウウオが生き続けられるためには,こうした自然環境が必要である。

農業の方法も園芸農業の広がりや機械化や殺虫剤,除草剤等の農薬使用が広がった。カスミサンショウウオの生息場所が,人間の生活圏と重なっているだけに,人間社会の近代化が生息環境に悪い影響を与えている事は確かである。絶滅危惧種のカスミサンショウウオを護るためには,現在では,切幡字観音の妹尾康弘氏が取り組んでいる様に,生息していた地点では,特定の小範囲だけでも自然の環境を残す事が大切であると特に思う。

28年12月 記