カスミサンショウウオと生息地の山奥の写真

秋の渓谷調査

10月7日(水),紅葉の季節を感じる剣山系の山へ登る。目的は4ヶ月の間,我が家で飼育してきたイシヅチサンショウウオの「幼生と親」を産卵渓谷に帰す事と,イシヅチサンショウウオの変態時期を調べるためである。

飼育しよううと考えた動機は,今年の6月2日,教え子の徳善政明氏と2人で,コガタブチサンショウウオの生態調査に,剣山系渓谷(標高1500m位)へ入った時,卵を守る1匹のイシヅチサンショウウオの親と「卵のう」を見つけた。普段は,観察するだけであるが,親の前肢の形が変わっていた事や,卵の形が丸く,産卵して時間が経っていない事で, 「卵と親」を家庭で飼育しながら,孵化の時期,共食いの有無,秋に変態するだろうか,また親子の様子等を調べてみようと思い, 「卵のう」と親を一緒に持ち帰ったのである。

飼育の様子を少し説明すると飼育水温は11度~12度,卵は7月12日に孵化,孵化した時は,大きなエラが美しい全長30mm位の小さい体であった(図2) 。それから腹卵黄で生長し,9月に入ると間もなく前後肢が完成し腹卵黄も殆ど消化された。1ヶ月間は冷凍赤虫を与えてきた。10月5日の測定では平均全長46mmと大きくなり,孵化した36匹全てが立派な幼生に生長した(図3) 。その間,共食いは皆無であったし,変態するかと期待したが孵化して約4ヶ月経過したが変態徴候は全く現れなかった。 全て幼生で越年し変態は来年である事が分かった。

図2 孵化直後のイシヅチサンショウウオの幼生。大きなエラは特長。

図3 7月12日に孵化,10月5日には全長が46mmになる。

一方,卵を守っていた親は,左右の前肢の指が全て欠損しており,太く短い親指と小さな小指が再生されていた。指は移動の時に岩石や地面を掴む役目をしているが,再生された変形2本指で,支障なく普通の様に行動し(図4),孵化幼生を守っているように感じた。

図4 卵を守っていた親。前肢の指が再生されている。

此の度の活動について報告したい。6月2日に産卵していた水溜まりに到着。徳善氏は,提げてきたクーラーボックスをおろし,幼生を何回にも分けて水溜まりに放し,最後に親を放し「もう台風も来ないので,みんな元気に育つに違いない。こんなに沢山の幼生の半分は雌であればよいのだが」と,自由になった親と幼生の行方を追っていた(図5)。飼育幼生を自然に帰す事が出来,気持ちが軽くなった。心の中で来年には,全てが変態して一人前のサンショウウオになる様にと願った。

図5 幼生を何回にも分けて丁寧に水溜まりに帰す徳善氏。

今日の目的は「幼生と親」を帰す事であるが,渓谷にいる幼生の状態,特にイシヅチサンショウウオの変態時期について調べる事も大事な目的であった。コガタブチサンショウウオと縁の深い徳善氏は,何か手掛かりはないかと小石の下や水溜まりを調べながら上流へ進んだ。残念ながらコガタブチサンショウウオの情報は得られなかったが,目的のイシヅチサンショウウオの幼生を数匹見つけてくれた。前々回の5月5日に水溜まりにいた数匹の全長60mmの越年幼生は変態して陸に上がったのだろう,1匹もいなかった。今回,見つけた幼生の全長を測ると大きいのは53mmで,思ったより生長しており,冷凍赤虫を与えてきた飼育幼生の46mmより7mmも大きかった。しかし,変態の徴候はまったく見られなかった。水温10度,これからは水温が低くなるし,変態が始まる全長65mm以上には,今年中には生長出来ず,幼生で越年すると判断した。水溜まりで見つかる幼生の数が少ないのは,幼生が変態して陸に上がったためではなく(全長が60mm以上になっていないだろう),6月,7月の豪雨や大雨で流されたためだと考える。生長の早い,この谷でもイシヅチサンショウウオの孵化した年内での変態の手掛かりはなかった。

図6 10月7日に渓谷で見つけた幼生。全長53mm,変態徴候は見られない。

水溜まりに重なる落ち葉の下には,多くの水棲動物やカニ,カエル類,ミミズが隠れていたし,ブナやトチノキの実が沢山沈んでいた(図7)。豪雨さえなければ,この渓谷の標高は1500mであるが南斜面の谷なので,水温が高く,餌にも恵まれているし,サンショウウオには良い環境であり,4月産卵と産卵が早ければ,個体によっては,年内変態もあるかもしれないと思った。

図7 水溜まりに沢山沈んでいたブナの実。

サンショウウオ調査では,生態を知るだけでなく,深山のいろいろな事に感動したり珍しい事に出会う事がよくある。 「幼生と親」を無事に帰し谷を下り,時間があったので,もう1つ,剣山の渓谷を調べようと相談,剣山登山の遊歩道入り口から大剣谷の下流を目指す事にした。

祖谷川を渡り,登り始めると,前方がネットの柵で遮られているのに驚いた。高さ1.5m位のネットの柵が,山裾に延々と張られていたのである(図9)。鹿による食害防止の柵だと判ったが,それにしても,剣山(標高1955m)の広大な山裾を,取り巻く様に張られた侵入防止ネットのスケールの大きさには度肝を抜かれた。大変な労力と苦労があっただろう,剣山の珍しい高山植物を護ろうとする熱意の強さを感じた。遊歩道入り口には,扉があり渓谷調査に入る事が出来た。

図9 山裾を取り巻く様に延々と設置されている,鹿侵入防止ネット。

調べる渓谷は標高1350m位,大剣谷の下流であり,谷幅は広く,水量も多く谷中には巨岩が点在し,水溜まりの多い古い渓谷である。40数年前,一宇中学校の生徒とよく来た思い出の渓谷で,イシヅチサンショウウオの産卵場所である。水温9度,やっと見つけたのはイシヅチサンショウウオの幼生数匹だけ(図10)。大きさは41mm~47mmで,飼育幼生と似ており,幼生で越年する事は確かである。8月27日に東祖谷の渓谷(標高1400m位)で約10匹のイシヅチサンショウウオの幼生の全長を測定したが, 38mm~42mmであった事からも,10月で全長平均44mmは正常な生長だと思った。この谷でも今年中に変態するという証拠は見つからなかった。徳善氏は「産卵場所であるのに,幼生があまり見つからないのは,豪雨による増水で流されたからでしょう」,「谷が荒れており,転石や倒木があまりにも多過ぎる」と度重なる台風,豪雨の異常気象を心配した(図11) 。

図10 渓谷の幼生。全長は41mm,47mm。

図11 渓谷には表面の苔が剥がれた転石や倒木が多く,一見して増水で荒れている事 がわかる。

大規模な鹿ネットには驚いたが,もう1つ,珍しい事を知った。徳善政明氏が,斜面に繁る樹の梢に太陽の光で紅葉が鮮やかな固まりを指差し,「あれヤマブドウです」と教えてくれた。近づいて見ると落葉樹に巻き付いた蔓植物で,枝に巻き付き梢で広がり,その紅葉が太陽に映えていたのである。蔓からは黒く丸いブドウが房になり,幾つもぶら下がっていた。工夫して採ってくれたヤマブドウの実を食べてみた。本当に風味があり甘くて美味しさ抜群,初めて口にした味であった (図12) 。

図12 ヤマブドウ。甘くて美味しい味。抜群の高級ワインが出来るとの事。

「これで造ったブドウ酒は最高の味です。焼酎に漬けても美味しいワインになります。高級品です」とワイン造りの方法も説明してくれた。深山の秋にはブナやトチノキ,サワグルミ等いろんな樹の「どんぐりの実」や「ヤマブドウ」等の果実も多く動物が集まってくるはずだと思った。イシヅチサンショウウオの渓谷での変態については,渓谷の標高,産卵時期,餌等の生息環境によって,中には年内に変態する個体があるかもしれないが,普通は幼生で越年し,次の年に変態する事が判った。肝心の「幼生と親」を産卵していた水溜まりに帰すことも出来た。高齢でも起伏の多い深山渓谷に入り,サンショウウオの生態調査が出来るのは,支えてくれる教え子の温かい協力があるからで,本当に有り難く感謝の気持ちでいっぱいである。深山の秋に触れ意義ある楽しい調査であった。