私と「黒パン」との出会い

私は今年で74歳になりました。
そんな私が、今頃から「パンや」を始めるとは…自分でも不思議なくらいです。

私は5年前から、5アールの耕作放棄地を借りて「ミナミノカオリ」というパン用小麦を無農薬で栽培し自家製粉・自家製石釜でほば無添加の全粒粉のパンを焼いて来ました。

あくまで趣味で、家族の健康を考え、友人や知人には「栄養価の高い美味しいこのパンを広げませんか」と言って、無料で食べて頂いて来ました。
残念ながら今日まで「いけるな~美味しいよ。早く売ってくれ」と言ってはくれても「ほなやるか」と言ってくれる同志は現れませんでした。

農業をしたこともない、さほどパンが好きでもなかった私が、昨年パン用小麦の新品種「せときらら」を購入し、耕作放棄地を耕し30アールに拡大。今年6月には40袋(30kg)も収穫できました。正に「一粒万倍」の喜びを味わっています。
私が、人生最後の仕事としてこの事を考えるようになったのは、二つの訳がありました。

 


(黒パンとの出合い)
今年91歳になる樫原道雄さんは。70年前、中国大陸で敗戦を迎え、ソ連軍の捕虜となって酷寒のシベリアに4年間抑留されました。

樫原さんは、命を削るような強制労働を前向きに、贖罪の思いを胸に働いたそうです。その内パン工場でも働くようになりますが、この現場でも研究を怠らず効率を考え、毎日2トンのパンを焼いたそうです。
工場長は樫原さんの仕事ぶりに感心しながら「黒パンは世界一栄養価の高いパンだよ」とよく自慢話をしたそうです。(黒パン=ライ麦・小麦・雑穀)

収容所で食べる物といえばこの黒パンと粗末なスープぐらいでした。

厳しい環境と過酷な強制労働によって多くの同胞を失いましたが、このパンがあったからこそ幾十万人の同胞の命をつなぐことができたと樫原さんは考えています。

樫原さんは、いつの日か祖国に帰ることができたらこのパンを広げたいと考えるようになり、一層仕事に励んだそうです。そして、生還されてから今日まで、その夢を想い続けてこられました。

今ではその夢が私の中に住みつき、いつの間にか熟成、発酵して来た訳でございます。

樫原さんの、このパンを広げたい思いを達成するため、試行錯誤しながら店を開くことにしました。